浄土宗について|愛知県小牧市のお寺「薬王寺」
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どこまでも照らす
救いの光
変わりゆく時代の中で、
たった一つ、変わらない願いを
浄土宗のお念仏は、多くの人を救うみ教えです。完璧で正しい者も、そうでない者も。苦しみの中で自分の罪と向き合い、ひたすらに救いを求める者にとってお念仏は一筋の光です。そして現代の闇多き時代にこそ、孤独や苦しみと戦う人々にとっての救いの光となります。浄土宗のみ教えは、自らの往生を願い、大切な方との再会が果たせる、遺された今の時代を生き抜く者の為のお念仏です。
教え
念仏を唱えれば
必ず極楽浄土へ往生できる
浄土宗は、法然上人によって1175年に開かれました。「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えることで、命が臨終を迎えたときに仏様のお導きの元で悩みや苦しみのない阿弥陀仏の極楽浄土へ往き生まれることができるというみ教えです。たとえ過ちを犯してしまった者でさえ、念仏を唱え、心に往生を願えば救われる。浄土宗は人々を照らす光です。
言葉
心がなごむ
法然上人の言葉
戦が頻発する時代に法然上人によって開かれた浄土宗は、当時修行もままならなかった庶民にとって、これ以上ないほどのありがたいみ教えでした。人々の救いとなった法然上人の言葉は、きっとあなたの心も照らしてくれ、一つでも多くの苦しみや悩みを拭い去ってくれます。
- 無比法楽むびほうらく
- 阿弥陀仏は本願を成就しておられるから、念仏すればいかなる人も往生できる。
- 特留此経どくるしきょう
- 念仏の教えは、遠く末法一万年の後百年まで、広く五逆の罪人までをも救う。
- 一蓮托生いちれんたくしょう
- 念仏者同士は別離を嘆く必要はない。いずれ極楽で再会できる。
池の水 人の心に 似たりけり
にごりすむこと さだめなければ
池の水は人の心に似ています。濁ったり澄んだりといっこうに落ち着かないのですから。
さへられぬ 光もあるを おしなべて
へだてがほなる あさがすみかな
仏の光のごとく遮ることのできない光もあるのに、全ての光をまるで一様に遮っているかのような顔つきの朝霞ですね。